装飾パターン周辺をもっと知りたい方に、文献案内をします。どうかお役立てください。
『装飾パータンの法則—フェドロフ、エッシャー、ペンローズ』
本書は、この100年の間にもたらされた数学の知見をもとに装飾パターンの仕組みについてのみ述べてきましたが、それが未来の装飾パターンに反映されるためには、装飾そのものについての洞察も深めていきたいところです。
装飾の歴史イコール人類史ともいえる装飾が、何故1900年以降の近代デザインやアートの出現によって息をひそめることになったのか、そもそも装飾の定義とは何なのか、太古より人はなぜ本源的に装飾を求めるのか、そんな疑問に応えてくれる書物を一部紹介して本書を終えたいと思います。
まずはE.H.ゴンブリッチが1979年に著した、装飾についての基調書といえる『装飾芸術論』をあげておきます。ゴンブリッチは20世紀最高峰の美術史家として名高く、絵画彫刻を主体に数々の著作をあらわしてきました。しかし晩年になって、人類の歴史でいえば絵画彫刻よりも長い装飾を正面からとらえなければならない欲求にかりたてられ『装飾芸術論』を書きました。その背景には、幼き頃に母が収集していたスロバキア刺繍の巧みで美しい装飾パターンに目をうばわれた自身の体験があり、なぜそれらが「芸術」として正統に扱われないかという自問がありました。
『装飾芸術論』は、知の巨人ゴンブリッチが装飾について知り得る限りを網羅した400頁におよぶ大著で、当然のことながら本書の装飾パターン17種の法則についても数学者A.スパイザーの表記(本書P.44〜45)を用いて解説されています。他にもフレーザーやカニッツァの錯視図形やアフォーダンスを提唱したギブソンの認知理論など、今話題になっている心理学を取り入れていた先見性に驚かされます。最終章では音楽とパターンの関係性にまで言及しており、ゴンブリッチが蒔いた種は今後も多様な花を咲かせるに違いありません。
ゴンブリッチの『装飾芸術論』に先立つ1973年に、わが国で海野弘『装飾空間論』が著されました。ともに装飾について言及するのがはばかれるような時代風潮のなか、タイミングをあわせたように本格的な装飾論が出たことに著者の直感のたしかさが感じられます。『装飾空間論』の一章より一部抜粋すると
「〈装飾〉の意味と構造に新たな光をなげかけるのは、デザインの方法論をこえた言語学や文化人類学の二十世紀における成果なのである」
ゴンブリッジ同様、装飾を語るには美術論やデザイン論を越えた概念が不可欠で、それほどまでに装飾の深奥ははてないことを物語っています。そして『装飾空間論』においても、本書の装飾パターン17種の法則についても数学者ヴァイルやコクセターの著作をもとに解説されています。あつかわれる装飾題材やそれに対する視点もゴンブリッチと共通するところが多く、こちらもわが国における基調書といわざるを得ません。
装飾について語ることは文明史を語るに等しく、近年、待望の本が相次いで刊行されました。ひとつは文明評論の第一人者がゴンブリッチ同様に円熟した晩年に著した装飾論、山崎正和『装飾とデザイン』(2007年刊)です。内容をあらくいえば、造形は本質的に二項対立を内在し、それが螺旋構造をもって歴史を織りなすという視点で、装飾とデザインやアートの関係がさまざまな事例をもとに見事にひもとかれます。そしてこの100年の間に装飾否定をもって存立地盤を獲得してきたデザインやアートも新たな次元でふたたび装飾に収斂するであろうことが示唆されています。
この装飾に対する潮目の変化を象徴するような近年の装飾論として2004年に鶴岡真弓『「装飾」の美術文明史』が著されました。内容はユーラシア大陸の左右の果てアイルランドと日本を装飾でつなぐ壮大な美術文明論で、あざやかな絵巻を読み解く面白さに満ちあふれています。著者の造詣のたしかさは1989年刊『ケルト/装飾的思考』で実証されており、以後『装飾する魂 日本の文様芸術』、『装飾の神話学』など装飾に関する刊行がいまなお続けられております。これら一連の装飾論で感じられるのは勢いです。かつての装飾不遇時代にあえて装飾論を決行したゴンブリッチや海野弘にはなかった明るさが感じられるのは私だけでしょうか。いまや白昼堂々、装飾を語れるときがきているような気がします。
最後に、装飾論ばかりではなく制作環境の劇的な変化について述べたクリス・アンダーソン『MAKERS―21世紀の産業革命が始まる』を紹介しておきます。いまや個人レベルで気軽に高品位なモノが作れるテクノロジー環境が整いました。コンピューターソフトのデータから直接レーザー・カット・マシンや3Dプリンターを介して最終完成品ができてしまうところから、DTM(デスクトップ・マヌファクチュアリング)とも呼ばれる動きがアメリカ発で全世界に広がりつつあります。未来の装飾パターンは、案外こんなところから脈絡なく萌芽してくるかもしれません。